どーも。コムスターです。
早速ですが、『人生無理ゲーなんだけど』と周りで呟いている人をみかけたり、
実際に『人生無理ゲーじゃないの?』と思っている人はいませんか?
私は割と最近思っていましたよ。
『人生無理ゲー』と感じている人は、ほんの少しでも『人生ゲー』にしていきましょう。
という話をこれからします。
(!注意!)
この記事は人生についての価値観についてをテーマにしたものですが、決して特定の団体や個人・グループについての誹謗中傷を行う主旨はありません。人生について価値観は人それぞれであり、それらについての優劣などを取り上げるための記事でない事をご理解ください。ゲーム的な要素を解釈の一部として表現をしております。
親ガチャ、家ガチャとか色々ありますよね。
一時期『親ガチャ失敗した~』とか、そういうの流行りましたよね。
それに続いて『無理ゲー』という表現も良く聞かれるようになりました。
世の中には努力や、後からやり直したり再選択する機会が無くて、ずっと自分に付きまとうものが幾つかあります。
例えば持って生まれたもの。
「性別」、「体格や性格」、「嗜好性」、「健康の度合いや障害の有無」。
「運動神経(の良し悪し)」「頭の良さ(もしくは、悪さ)」。
他にも、生まれた時の環境や境遇によるもの。
「両親」や「生まれた国、地域」。「両親の背景、宗教観念」「両親の経済的な能力」「どの時代に生まれてきたのか」
などなど、生まれた時の環境はどうにもできないものがありますよね。
『配られた手札』は今さらどうしようもないけど…
持って生まれてきたどうにもならない事柄は、『人生ゲーム』的な解釈で表現するなら『最初に配られた手札』です。
ポーカーや、7ならべでも花札でも、強い手札が最初から揃っている事もあれば、
弱い手札で勝ち筋が見えず、つい頭も抱えたくなる事もあります。
でも最初の手札が厳しくても、その後の展開次第では強い動きが出来たりするのがゲームの醍醐味です。人生においても同じような事が言える部分があるのではないでしょうか?
人生も(あるいは人生ゲームでも)プレイングで上手く立ち回れば挽回出来たり、想像以上の成果を得られたりするものです。
工夫や努力、チームプレイや協力など、ありとあらゆる選択が出来るのが人生です。
人生の自由度を最大限に生かして『無理ゲー』から『ゲーム』に変えられると良いですね。
……と、ここで記事を閉めてしまうとふわっとした感じで終わってしまうので、本題に入ります。
逆に生まれてきた環境が最高過ぎたのに、自ら環境を捨てた路上生活者になった上で歴史上に名を遺すような人もいますが…。
無理ゲーにしているのは親ガチャだけではない
ここまで『親ガチャと人生』について書いていきましたが、
仮にもしも、あなたや周りの人などで自分自身の人生を『無理ゲーだ』と感じているとしたら、そのように考えさせているのは『親ガチャ』だけではなく、もっと別のモノ由来かも知れません。
私が書きたかったのは、むしろココからなんですね。
最初の手札だけでは、ゲームはまだ決定的ではないんです。
例え最初の手札が悪くても、その後の運が良かったり、立ち回りや駆け引き(プレイング)が上手くいけば予想外の成果を出せるかもしれません。
協力プレイで上手くいく事もあるでしょう。弱いと思っていた手札も、仲間達と手札を合わせれば強いコンボが発動して大成功する……なんて事もあるかも知れません。
ですが……
例えばその後の人生(ゲーム)の『プレイング』や『創意工夫』が誰かに縛られていたらどうでしょう?
サイコロや、カードをどのように使うか、どのルートを選ぶかが自分ではなく別の人に決められていたら……
協力プレイが出来ないようにされていたり、勝手にあなたがあずかり知らないところで知らないチームに所属されていていたり、誰かに自分の手札を使わされていたりしたら、どうでしょうか?
『無理ゲー』にしているのは『ルーレットを回していない』から
何を言っているんだ?と思う方もいるかも知れませんが……。
中には心当たりを感じる人もいるかも知れません。
例えばクラスメートや会社の同僚との付き合いの中で……
家族と親戚周りでの家訓や教訓を大事にする関わりの中で……
友人、親戚、家族、恋人、妻、夫、父親や母親などの関わりの中で、あなた自身であなたの事を決める事が困難な場合があります。
休日にどこに出かけるか、期末テスト前に勉強をするか、それとも遊びに行くか。
進学塾に入るか?野球チームに参加するか?
進学先はどこにするか?就職先は?
あなたが人生で決定する出来事について、あなた自身が決めたと思えるものはどの程度あるでしょうか?
気が付けば『ルートを誰かが決めている』『自分のゲームじゃなくなっている』
誰もが生まれた時から判断能力や責任能力が十分にある訳ではないので、両親が学生時代の進学先についてある程度『決定』する事についてはある程度当然な部分があります。
周りに流されやすい人や、優しい人、真面目な人の中には、強く主張されるとその意見を過剰に尊重してしまい、自己決定の場面での誰かにゆだねてしまう事もあります。
『自分の人生(ゲーム)』をしよう。それなら無理ゲーじゃない…かも。
純粋な人や、真面目な性質を持つ人は特に『誰かの意見』を自分の意志と同じかそれ以上に尊重してしまいがちです。そして気が付けば自分の人生の大きな決定を誰かの意見に委ねてしまう……なんて状況になる事もある訳です。
勿論、誰かが人生の道筋を好きに変えたとしても、その道筋で上手くいく事もあります。
でも上手くいかない場合は悲惨な状況になります。「こんな筈では無かった」と言いたくなる状況になると思います。
もし仮に誰かに自分の人生の舵取りを乗っ取られていたとしても、自分の人生に責任を持つことが出来るのは本人だけです。誰かが決めたレールに乗って生きていて、それで苦難に遭遇したとしてもその苦難を誰かが肩代わりしてくれることはありません。
いや寧ろ、本人が被る必要が無いものを誰かに背負わされている事なんてこともあるかも知れません。
自分自身を大事に取り扱う事で、人生を自分の人生として営むことが出来るようにしてください。
人生はゲームではありません。
人生は、人生です。
一生で一回しか歩めない大事なものです。
大事に自衛して、自営して暮らしましょう。それでは失礼いたします。

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